ラブ&ヘイトスピーチ

※高尾に彼女がいます。
 
 
 

 断る。
 
 短すぎる簡潔な返事に思わず笑いがこぼれる。出会って十数年、あいつのこういうところはちっとも変わっちゃいない。
 だけどちょっとつれないんじゃねーの? 相棒の晴れの日だってのにさ。フツー、こういうのはふたつ返事で受けるもんだと思うぜ。……まぁ、あいつに普通を求めてもしょうがねえんだけど。
 しょうがねーな、と息を吐いて何度かスマホの画面をタップし、通話画面を呼び出す。ほんとは会って話したいとこだけど、あいにくオレもあっちも忙しくてなかなか時間がとれない。なにせどっちも働き盛りで仕事ができる男なもんだから、睡眠時間すら満足にとれないような毎日なのだ。
 コール音が響く。時計は22時を指している。人に電話するにはちょっと非常識だけど、オレたちにとってはこのへんがベストな時間帯だ。たいてい仕事はなんとか終えていて、でも寝るにはまだちょっと早い。
『……なんだ』
「ブハッ、なんだは挨拶じゃねえよ! ひさしぶりだな、元気?」
『オレは人事を尽くしている。体調不良になどなるはずがないのだよ』
 あいかわらずすぎる返答がおかしくて、つい大声で笑ってしまう。
 こんなふうに笑うのはひさしぶりだ。社会人なんてもんになってしまうと、ゲラゲラ笑い転げる機会なんてがくんと減ってしまう。笑い上戸だの笑い袋だの言われていたオレでも、仕事中はまじめな顔をしていなければならないのだ。
 だけど真ちゃんと話していると一気に元のオレにもどる。学生時代からの友だちが貴重っていうのはこういうことなんだと思う。だいたい真ちゃんはいつまでも奇天烈で斜め上でトリッキーだし、ほかのやつの何倍もおもしろくてしかたないんだから、オレの笑いが炸裂するのは無理もないことだ。
『あいにくオレは今忙しい。ストバスの誘いなら、そうだな、来月にしてくれ』
「ストバス! やりてえなぁ。最後にやったの冬だっけ。って、そうじゃなくて。わかってんだろ、オレの用件」
 電話の向こうで、真ちゃんが黙り込む。
 まさかほんとになんでオレが電話したのか理解してないんじゃねえだろうな、と一瞬思って、そんなわけないと打ち消した。オレと真ちゃんのつきあいは長い。長いし、深い。高校のときのように頻繁に会えなくなってしまっても、ちゃんと意思疎通できているという自負がある。
『……断る、と言っただろう』
「なんでだよ」
『気が進まん』
「オレの結婚式だぜ? 一生に一度の」
 そう、オレは真ちゃんに結婚式のスピーチを頼んで無下に断られ、しつこく食い下がるために電話をしたのだ。
『……一生に一度かはわからないのだよ』
「オイオイオイ、そういうこと言っちゃう? これから結婚するやつにそれは禁句だぜ?」
『フン』
 まったく真ちゃんはこれだから。フツー激怒されるとこだかんな。ま、そういうとこもおもしろくて好きだけど。
『だいたいなぜ結婚などする』
「なぜって……。このまえ彼女ちゃんが誕生日で、何がほしいか訊いたら指輪がいいって言うから見に行ったんだよ。で、なんかそれが婚約指輪になった。年齢的にもまあそろそろいーかなって」
 はあ、とバカにしたようなため息が返ってきた。
 言いたいことはわかる。オレだってちょっとカッコつかねーなあとは思ってんだ。男ならもっとバシッとくさいセリフのひとつでも決めてカッコよくプロポーズするべき、なのだ。でもその場の流れというか雰囲気でそうなっちまったもんはしかたないだろ。かしこまってプロポーズしなおすのもなんか変だし。
『…………ほかのやつに頼め。おまえならいくらでもいるだろう』
 その声音に本気の拒絶を感じ取って、思わず姿勢を正す。どうせいつものツンデレだろうと軽く考えていたけど、どうもこれはちょっとちがうらしい。
「誰でもいいわけじゃねえんだよ。オレは真ちゃんがいいから頼んでるの。おまえに、祝ってほしいんだよ」
 自慢じゃないけどオレは友だちがすくないほうじゃない。仲がいいやつはそれなりにいて、だけど真ちゃんは特別なのだ。
 どれだけ会えなくても、他の人と過ごす時間が長くなろうと、真ちゃんの存在は色あせたりしない。いつだって、燦然とオレの心のなかで太陽のように輝いている。
 こてんぱんに負かされて、オレの人生で倒すべき最大の敵になって、でも一緒のチームで戦うことになって。最初っからうまくいってたわけじゃなくて、ちょっとずつほんとの仲間になっていって。死ぬほどつらい練習を一緒に耐えて、いろんなことに泣いたり笑ったりして、多くの言葉を交わさなくても何を考えているかわかるようになって。たった三年だけど、いちばん大事なものをわかちあった。そんな存在、他に代わりなんかいない。いるわけがない。
 オレは真ちゃんが大事だし、これからだってずっとずっとつきあっていきたい。真ちゃんのしあわせはいちばんによろこびたいし、真ちゃんにもオレのしあわせをよろこんでほしい。だってオレたちは相棒なのだ。一緒にコートに立つことはもうなくても、オレは生涯そのつもりでいる。それなのに、真ちゃんは全然わかってない。別におもしろがっておまえにスピーチやらせたいんじゃねえんだぜ。
 真ちゃんが息を吐いたのが聞こえる。オレがわりと真剣なんだってことが伝わったのだ。ほら、電話越しだって、息ひとつでおまえのことわかるんだぜ。そんな関係ほかにないだろ。ほかのやつじゃ全然ダメなんだよ、真ちゃん。
 『……わかった。そこまで言うのなら、やってやるのだよ』
「マジで? やった!」
 苦々しい舌打ちが返ってくるけど無視する。もっと説得に時間がかかるかと思ったけどわりとスムーズだった。やっぱりちょっとしたツンデレだったのかもしれない。
『来週末、時間を空けておけ。草稿を聞かせてやる』
「え、フツーそういうのって本番当日のお楽しみなんじゃねーの?」
『後悔しても知らんぞ』
 重々しい忠告めいた物言いがおかしくて噴き出す。なんだよ、オレの恥ずかしい失敗とか話すつもりかよ。真ちゃんにもそういうユーモアあったんだな。
「わかったわかった。そしたら来週飲もうぜ」
 真ちゃんと会えるのは単純にうれしい。約束をとりつけて、オレは電話を切った。
 
 翌週。オレはなぜか部屋に真ちゃんをあげていた。
「……あれ、飲みにいくんじゃなかったっけ?」
「バカめ、さわがしい場所でスピーチなど読めるか」
 暑いのかネクタイをすこしゆるめながら真ちゃんが吐き捨てる。
 そのしぐさがカッコよかったもんだからつい見惚れてしまう。モテ要素とかそういうのを気にしてるわけでは絶対ないはずだけど、こういうちょっとした動きが嫌味にならないからこいつはずるい。
 そういえば、なんで真ちゃんには彼女がいないんだろう。今まで、真ちゃんから彼女とか好きなコの話を聞いたことがないのに突然気づく。
 こんだけカッコよかったら彼女なんて山ほどできそうなもんなのにな。昔ほど偏屈じゃなくなったし。ストイックな真ちゃんのことだから、結婚する相手以外とはつきあわないと決めているんだろうか。ありえる。そういうとこすげえ真面目だもんな。
「んー、じゃあちょっと待ってろ、酒となんかつまみ作るわ」
「いらないのだよ。オレは結婚式の友人代表スピーチを読みに来たのだから、そこでおとなしく聞いていろ」
 妙にすごまれてソファに座りなおす。真ちゃんの顔がけわしい理由が今ひとつわからない。緊張してる? まさか。あれかな、あんまり慣れてないことするから身構えてんのか。真ちゃん慎重派だもんな。
 真ちゃんがカバンから数枚の紙をとりだした。どうやらスピーチが始まるらしい。
 「……高尾とは、十五のときに出会った」
 
 ちょっと変な出だしに首をかしげるが、黙って聞いていろという視線が痛いほどこっちを見ていたので、おとなしく肩をすくめて口をつぐむ。
 さすが真ちゃんだ。素直に「この度はご結婚おめでとうございます」で始めるつもりはないらしい。
 
「はじめはなんて軽薄そうなやつだと思った。いきなりなれなれしく話しかけてきてよくわからないことを言ってゲラゲラ笑いだして、こんなやつが秀徳でバスケを続けていけるとは思わなかったのだよ。
 実際、高尾は変なやつだった。地味な基礎練習も、たいていのやつが面倒くさがるボール磨きも、いつでもへらへらした笑顔を絶やさずこなしていた。それでいてただの調子者というわけでもなく、厳しい練習にも絶対に音をあげない。何かとオレにはりあってきては、唸るようなパスを見せてやると言う。よくわからない、おかしなやつだと何度も思ったことをよく覚えている。……もっとも、今だってじゅうぶんにおかしなやつなのだが。
 ――軽薄そうなのはうわべだけで、本当は目標に向かって真摯に人事を尽くす努力家なのだとわかったのは、わりと早い段階のことだ。どんな練習にも手を抜かず、勝つための努力を怠らない。できないことは口にしないし、できないことをできないままにしておかない。何かに人事を尽くしている人間なら、誰でも好ましいと思う資質だろう。オレもそうだった」
 
 気恥ずかしくなってうつむいてしまう。こんなに手放しで真ちゃんにほめられることなんて今までになかった。好ましいなんてフレーズ、背中がむずむずしてたまらない。真ちゃんが事前に聞いておけと言った理由がわかった気がする。こんなん当日聞いたら照れくさくてしょうがなくなって茶化してスピーチをだいなしにしてしまいそうだ。
 
「高尾は、それまでのオレの人生にはいなかったタイプの人間だった。オレは人事を尽くすために全力を出すことになんのためらいもないが、それが他人から見て奇異に映る場合もあることを承知している。笑われたり、バカにされた回数を数えようと思うとアホらしくなるほどだ。
 だが、高尾は笑いはしてもバカにはしなかった。オレの人事をあたりまえのものとして受け止め、ただおもしろがっていた。……そういうやつが、オレに、最高のパスを出すから勝とうぜと笑いかけてくる。オレに追いつこうと食らいついてくる。あのときのオレの気持ちなど、おまえには生涯わからないだろう。
 ……オレは、うれしかったのだよ」
 
 真ちゃんが顔をあげてこっちを見る。手元の原稿を見もせず、すらすらと言葉をならべていく。よどみなく、迷いなく、どもったりつかえたりすることもなく、スピーチを続けていく。
 
「おまえの存在がどれだけのものをオレに与えたのか、おまえは知らないだろう。オレとて教えるつもりはなかった。おおらかなようで存外人目を気にするおまえに、常人とは異なる道を強いることは酷なように思えたからな。
 このまま、いつまでも隣にいられればそれでよかった。オレたちの関係につける名など、さしたる問題ではないと思っていた。
 だが、やがておまえは恋人をつくった。それだけならまだ我慢もできたが、こともあろうに結婚すると言いだした。あげくにオレに祝ってほしいなどとぬかす。そのときのオレの荒みようを見せてやったらおまえはどんな顔をしたのだろうな。死んでも見せてやらんが、すこし興味があるのだよ。
 ……おまえがオレ以外の人間を伴侶に選ぶことをよろこべるはずなどないだろう。好きな相手が他人のものになってよろこぶなど、とんだまぬけなのだよ。おまえがオレ以外の人間を大切にしているのを見ることさえ、反吐が出そうな気持ちになるというのに。
 だいたい、飲み会でノリがあったからなんとなくつきあいだして、なんとなく誕生日に婚約指輪を買い、年齢的にも適齢だろうと判断したから結婚する。そんな経緯で永遠の愛を誓うなど滑稽としか言いようがない。オレがおまえを思う気持ちは永遠に変わらないと断言できるが、オレのそれとおまえのそれが同列に扱われると思うと本当に気分が悪い。最悪だ。オレの永遠の愛は、そんなに安っぽいシロモノではないのだよ。
 いいか高尾、オレはおまえにだけは嘘を固めて本心をごまかすことはしたくない。愛想笑いを浮かべて、新婦と末永くしあわせになってくださいなんてお決まりのセリフを吐くなど絶対にごめんだ。心から言う。オレはおまえの結婚などまったく、全然、これっぽっちもうれしくない。そんなものでおまえがしあわせになるところなど見たくもないし、それがしあわせだと認めたくもない。むしろオレがここにいることを感謝しろ。いちばん大切な気持ちを踏みにじられ、負けを見せつけられる場所に足を運んで、何がうれしいものか。こんなに最低な一日は他にないだろう。いかなるラッキーアイテムですら補正は不可能だと断言できる。
 ――結婚などするな。オレ以外の人間にしあわせにされる姿など、オレに見せるな。友人代表なんて肩書、クソくらえだ。
 ……以上をもって、オレのスピーチとする」
 
 真ちゃんが原稿を丁寧に折りたたんで、スーツの胸ポケットにしまうのを呆然と見つめる。
 目の前にいる相棒が何を言っていたのか、うまく飲みこめない。
 好きな相手? ふられる? 永遠の愛? 心の端々にひっかかった単語がぐるぐると胸の中を周回している。
「……し、んちゃん」
 何を言うべきかもわからず、かろうじて口から転がり出たのは真ちゃんの名前で。それを聞いて何を感じたのか、真ちゃんは顔をゆがめて笑った。
「どうだ。これがオレが結婚するおまえに贈るスピーチなのだよ。言っておくが、一言一句変更するつもりはないぞ。これでも、何日かかけて考えたのだからな」
 そうだよな。おまえが真剣に考えたことを曲げるわけねえよな。場違いな言葉ばかりが頭に浮かんで、今いちばんこの場にふさわしいセリフがまったく思いつかない。
 いつから。なんで。どうして。言いたいことは山ほどあるけど、音にして真ちゃんに届けることができない。どれもこれも、真ちゃんを傷つけてしまうような気がした。
「これでわかっただろう。一生に一度しかない結婚式をだいなしにしたくないのなら、他のやつにスピーチを頼め。……安心しろ、式には出てやるのだよ。オレが出ないとなると、言い訳をつくるのがいろいろと面倒だろうからな」
 仕事の段取りを話すような平坦さで真ちゃんが話を続ける。そのまま別れの挨拶もせず、カバンを持って立ち上がって廊下へと姿を消した。がたごとと靴を履く音がして、玄関のドアが閉まる音が続く。
 部屋が静寂で満ちる。だけどオレの身の内ではいろんな感情がけたたましく叫びをあげて渦巻いている。動悸がうるさい。真ちゃんの低い静かな声が耳の中でわんわん響いている。
 いつからオレのこと好きだった。
 なんで、オレは気づかなかった。
 どうして――どうしてオレは気づかなかった?
 鍵をひっつかんで家を飛び出る。
 真ちゃんが出ていってからまだ時間はそんなにたってない。駅に着いて電車に乗ってしまう前につかまえて、それで――それでどうするかはわからないけど、とにかく真ちゃんに追いつかなくちゃいけなかった。真ちゃんは足が速いけど、今からなら絶対に追いつける。
 追いついてみせる。

 

 


2016.8.10