ゆらゆら揺れる

 風が髪を乱しながら吹き抜けていく。
 冬が始まりかけた夕方の空はすでに陽の光を失いつつあり、緑間と高尾が座る河川敷は暗い色に染め上げられていた。
 全身を細かく覆っていた汗はずいぶん前に冷えてしまって、すこし風が当たっただけで肌が粟立つ。反射的にからだを縮こまらせると、緑間の腕の中にすっぽりとおさまるようにして体育座りをしている高尾が、わずかに身じろぎをした。
 静かにしていることが何より苦手だと公言する緑間の想い人は、日頃のやかましさが嘘のように口をつぐんでいる。石のようにかたくなな背中は、緑間が何か言うことさえも拒んでいるようだった。
 ことさらに冷たい風が吹き、高尾の髪を揺らす。いつもにぎやかに跳ねまわっているそれがゆっくり右に動き、同じような速度でもとの位置にもどっていくのを、ぼんやりと緑間は眺める。芝生に直に座っている尻がだんだんと冷えてきていることを自覚していたが、動く気にはなれなかった。
 わからない、と感じることは存外さみしいものだ。
 
 いつも誰より近くにいて、いちばん長くそばにいる高尾の心が、緑間にはわからない。
 緑間の気持ちを高尾は知っている、ということを緑間は知っている。隠すつもりもなかったのだから、敏い高尾がそれに気づくのは当然のことだし、それでかまわなかった。恥じることも秘めることも必要ない。それくらい、緑間にとって高尾への思いは混じりけのないものなのだから。
 だけど、緑間が想いを告げることを高尾は許さない。
 心の中で大切に磨いて温めている想いを取り出して渡そうとするたびに、高尾は拒絶する。おおげさな笑いや困ったような眉、こわばった口元が、全力で訴えてくるのだ。何も言わないでくれ、と。
 はじめは、単純に高尾は自分に友人を超えるような好意を抱いていないのだと思っていた。しかし、不思議なことに高尾は緑間がふれることは拒まない。今だって、おとなしく緑間の両腕にくるまれている。
 ロードワークを終えて休憩をとっていて、どうしてこうなったのか緑間にはよくわからない。隣に座る高尾を見つめていたら、勝手に体が動いて抱き寄せていたのだ。
 冗談めかした拒絶の言葉も、あからさまに硬直する肩先の動きもなかったからずっとこうしているけれど、高尾が何を考えているのかは判然としない。
 ふわふわと風にもてあそばれる黒い髪を見つめる。頼りなく揺れる一房を手にとってみたいという衝動に駆られるが、この沈黙を破ると高尾がするりと腕の中からいなくなりそうな気がして、ぐっとこらえた。
 今はもう、高尾が自分を好いていない、などとは思っていない。
 高尾は好きでもない相手にふれることを許すような男ではない。応えるつもりのない相手に気を持たせるようなことをする男でもない。そんなことは緑間にとってはわかりきったことで、だけど高尾はあいかわらず緑間の想いを受け取ろうとしないから、どうしたらいいのかわからずにいる。
 ふるり、と高尾のからだがふるえる。寒いのかもしれない。あたためてやりたくて、腕に力をこめて強く抱きしめると高尾がまたふるえた。だけどそれは寒さに反応してのことではなく、もっと別の類のものだと緑間にはわかってしまった。
(……何を恐れているのだよ。オレはお前が好きで、これからも共に歩んでいきたい。お前だってそうだろう、高尾)
 この日々を、ずっと先の未来までつなげていきたい。人事を尽くして生きる自分のかたわらには、高尾がいてほしい。
 望んでいるのはたったそれだけなのに、高尾が望むことが、あるいは望まないことが、何なのかが緑間にはわからない。
(ここは野外だ。人目につくかもしれない場所で、こうすることを許すのはなぜだ。人に見られてもかまわないと思っているのなら、なぜオレの告白を拒む。なぜいつも何も言わない。――オレは、何を言えばいい)
 鼻先を黒い頭に埋めると、高尾の匂いが緑間を満たす。ふわりと高尾の髪が揺れて頬を優しく撫でていく。
 緑間がほしいのはこの温度だ。もっと近づきたい。ふたりのあいだにある空白を埋めたい。もっと一緒にいたい。
 このうえなく単純でわかりやすいはずの想いは、どうして高尾に届かないのだろう。
「……寒くなってきたな」
 久しぶりに高尾が音を発する。
 そうだなと答えると、高尾はへ、と笑いそこねたような息を漏らした。そして緑間の腕からするりと抜け出して立ち上がり、いつものように笑ってみせる。
「そろそろ帰ろうぜ、真ちゃん」
 緑間にしかわからない、やわらかな拒絶の壁を高尾は作り上げていく。もう今の高尾は、さっきのようにふれることを許しはしないだろう。
 ああ、と答えることしかできない自分に歯噛みしながら、緑間は立ち上がる。
 川の向こう側の道路を、車が走り去っていく。ほんの一瞬、微笑んだ高尾の顔が車のライトに照らされる。何かを隠したままゆるやかな弧を描くオレンジ色に、大事な言葉ほど奥にしまいこんでしまう唇に、気まぐれに揺れる髪に、いつまでも途切れることのない感情がまたひとつ、緑間の心に生まれる。
(―――好きだ)
 どうやっても、何があっても、その気持ちは変えられない。緑間の心に、からだに満ちているのは、そのシンプルなひとことだけなのだから。

 

 


2016.1.3