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あれから高尾と連絡がとれない。
ラインのメッセージはいつまでも既読にならないし、電話にも出ない。一度思い余って実家の電話にかけてみたが、テスト勉強だとかで友人の家に泊まりに行っていると言われた。
それが嘘か本当かはわからない。はっきりしているのは、高尾がオレを避けているということだけだ。
最後に会った日のことを思い出す。足早に去っていった後ろ姿をただぼんやりと見送ったのは、高尾の言葉に少なからずショックを受けていたからだった。
大変だった。苦労していた。今年はそういうことがないようにしてほしい。そんな風に思われていたと知れば、オレとて傷つく。
迷惑だったのか、疎まれていたのか。1年ならつきあってやると言いながらも、本心ではそう思っていたのか。そうならそうと言えばいいものを、言い出せなかったのはあいつが気のいい男だからか。だが、オレたちのあいだにそんな遠慮など無用だったはずだ。
それとも、それすらもオレの一方的な思い込みだったというのか。
高尾に嫌われる。それは、考えるだけで心臓が芯から冷えるような恐怖だった。恋愛感情をもたれていなくとも、嫌われてはいないと思っていた。しかし、避けられているということはオレに見切りをつけたということではないか。
みっともなく情けない話だが、こういうときにオレはどうしたらいいのかわからない。他人にどう思われようと、己が信じる道を進んでいれば、人事を尽くしてさえいれば問題ないと思って生きていた。だが、今は何が最善なのか、何をすることが人事を尽くすことにあたるのかがわからない。
既読にならないラインの画面をにらみながら悪戯に時間は過ぎ、週末になった。高尾と過ごさない金曜日など1年ぶりだ。心臓に穴でも開いたようなうつろな気持ちを抱えたまま休日を終え、途方に暮れていた月曜の夜。携帯電話が通話を告げた。
『あー、緑間?』
「……宮地さんですか」
聞こえてきたのは耳慣れた調子のいい声ではなく、少し高めのぶっきらぼうなものだった。確かめるように相手の名を呼ぶと、苛立ったような舌打ちが返ってくる。
『んなロコツになんだガッカリみてーな声出すんじゃねぇよ轢くぞ』
「そんなことはありません。何の用でしょうか」
『チッ、相変わらず可愛げねーなてめえ。高尾から聞いてるかもしんねーけど、今度秀徳行くって話、今週どうだ?』
高尾という言葉に刺すような痛みが襲う。それを頭の隅に押しやり、予定を思い浮かべる。
「明日と明後日は授業が6限まであるので難しいです。木曜か…」
金曜と言いかけてまた胸が痛む。金曜はいつも高尾と2人で過ごすために空けておいた。だから、普段であれば金曜日は予定がありますとはっきり断る。だが、その習慣を続けるべきかどうか、今のオレにはわからない。
もう高尾はオレと会うつもりなどないのかもしれない。それならば金曜日を空けておく理由など何ひとつない。
「……週末は大丈夫です」
答えを出せないまま、いや、出したくないまま宮地さんにそう告げると、またしても舌打ちが聞こえる。もともと口も態度も丁寧な人ではないが、今日は舌打ちが多すぎるのではないだろうか。
『ハッキリ言えよ、金曜はどうなんだよ』
「授業は5限までありますが、今週は休講なので4限が終わったあとなら……おそらく」
『おそらくってなんだよ潰すぞ。ったくてめーも高尾も何なんだよ』
「高尾が何か?」
『あぁ? アイツもなんか金曜空いてんだか空いてないんだかハッキリしねーんだよ。金曜に何があんだよ、デートかよ。ふざけんな』
デート。オレと高尾が必ず金曜日一緒にいたのがそうだったというのなら、どんなによかったか。
『そういや高尾、どうしたんだよ』
「え?」
『昨日飯食ったんだけど、異様に元気なくて気持ち悪ぃのなんのって。なんかあったのか?』
「……オレは先週会ってないので、わかりません。宮地さんの気のせいじゃないんですか」
『んなわけねーだろ、刺すぞ。うんうん連発しててマジうぜーったらなかったわ』
「うんうん?」
『あいつがうんうんって相槌はさむときは大抵ウソついてるときだろうが。どうかしたのかって聞いても、「大丈夫っすなんもないっす。あ、でもテストが近いからちょっとナーバスなんすよね、うんうん」とかってよ。うざすぎ』
言葉を失っていると、また宮地さんの舌打ちが鳴る。
『まさか知りませんでしたとか言うんじゃねーぞ。とりあえずあいつのカラ元気うっとおしすぎっからなんとかしとけ。監督に日程の確認したらまた連絡するから、予定は死んでも空けとけよ。じゃあな』
はいそれでは、と上の空で返事をして電話を切る。ウソをついているときだと?
あのときも、確か高尾は「うんうん」と言っていた。そしてバカみたいな明るい声で、オレに1年間をプレゼントするのは大変だったし苦労したからもうやめろと言った。
あれはウソだったのか?
ならばあの日、あいつはなぜ用事があるなどと言って帰ったのだ?
そして、なぜ今連絡がとれない?
疑問が奔流となってかけめぐり、オレを混乱させる。
避けられているのは、嫌なことを強いていたオレに腹を立てたのだと思っていたが、そもそもそれがおかしいのだ。あいつが嫌なことを1年間も文句を言わず耐えるわけがない。気に入らないことがあれば自分の手で変えようとする。高尾はそういう男だったはずだ。
なぜ、金曜の予定をハッキリさせない。オレの連絡に応じず、先週会おうとしなかったのはお前のほうだというのに。
冷静にならなければ。そう思うのに体は勝手に動く。立ち上がり、携帯電話をズボンのポケットに押し込んで玄関に向かい、扉を開けて外へ出る。
人事を尽くす、最善の道を選ぶ。
その前にやらなければならないことがあると、オレはようやく気がついた。
◇
失恋ってこんなにも最悪なもんだって知らなかった。
胸を刺すズキズキとした痛みは始終全身に響くみてえな感じだし、ときどきつまったように呼吸が苦しくなる。この先の長い長い未来、もうあいつと共に在ることはないんだって思うと、何もかも投げ出したってちっとも構わない気さえしてくる。体は生きてるけど、残りは全部死んでるような気分だった。
別に真ちゃんと永遠に会えねーわけじゃないし、これまでどおり友だちはやっていけるはずだ。オレの一方的な片想いが終わっただけで、たいして失ったものなんかない。それなのに誰といたって、何をしてたって、楽しくない。
世の中に失恋に関する話なんて腐るほどあって、誰もが一回くらいは体験してるようなことなのが信じられない。こんな人生絶たれたみてえな感じから立ち直って新しい恋をするなんてオレにはとてもできそうにないのに、世界は別れと出会いをくりかえして回っているとか、ウソだろ。
死んだ心をひきずったまま、授業とバイトを終えて家路につく。宮地サンに電話して、今週の予定をちゃんと伝えなきゃいけないけど、それすらも面倒だ。スマホを見ると、真ちゃんからラインもメールも電話もきてることを思い出してしまう。それに返事をしなきゃってのはわかってるけど、今なんて言えばいいのかわかんねーままずるずる時間が過ぎていってるのがまたオレを憂鬱にさせた。
いい加減返事しねーと、真ちゃんは怒っているに違いない。風邪ひいて具合悪かったってことにすればいいかな。この期に及んで真ちゃんとの関係を円満なものに戻そうと考える自分がバカバカしくて、ちょっと笑えた。
ほしいって言われて1年つきあわされて、キスまでされて。だけどもういいって、意味がわかんねー。自分勝手すぎだろ。激怒して縁を切ったっていいような話なんじゃねーのコレって。
だけどそんなことできるわけないって、オレ自身がいちばんよくわかってる。真ちゃんがワガママで意味不明なのなんて今さらだし、そんなとこも好きなのはオレだ。嫌になるくらい真ちゃんが好きなのは、オレだ。
会えなくなるくらいなら、友だちでいい。ときどき連絡して、ときどき会って、そのうち彼女ができたとか報告受けて、おめでとううらやましーなこの野郎なんて言わなきゃいけないような関係でも、会えなくなるよりずっといい。そう思ってるのはホントなのに、真ちゃんに連絡できない。マジでめんどくさくてもう嫌になる。
全部なかったことになって高校のときみたいに真ちゃんのそばにいられる、そんな魔法の呪文があればいいのに。
女々しさ全開の思考をため息に変えて吐き出して、そこでオレの全身の動きが止まる。家の玄関の前に人がいた。よく見なくたってわかる。真ちゃんだ。
なんで。どうしてここに。
動揺しながらも1週間ぶりに見る真ちゃんの姿に胸が高鳴る。どうしてこんなときまでこうなんだよ、ちくしょう。自分に舌打ちしながら後ずさる。その足音が耳に入ってしまったのか、真ちゃんが顔を上げてこっちを見た。
「高尾!」
めったに聞けない、焦ったような声を聞くと縫いとめられたように動けなくなる。
「な、んで、ウチの前に」
「お前が返事をよこさないからだろう、バカめ。高尾、話がある」
「……オレ、ちょっとこれから用があって急いでんだ。今度にしてくんねぇかな」
今、真ちゃんと話なんかできない。逃げ出すためにウソの用事をでっちあげると、真ちゃんはフンと鼻を鳴らした。
「今日が何日か知らんのか。まだ7日にはなっていない。お前はまだオレのものなのだよ。いいから黙ってオレの話を聞け、高尾」
「んだよ、それ……」
もういいって言ったくせに、まだオレのものだなんて言い方ずるい。視界がぼやけそうになるのを唇をかんでこらえていると、真ちゃんに腕を掴まれた。心拍数が上がる。それは真ちゃんにふれられているからだし、物理的にもう逃げられなくなってしまったからだ。
「なぜウソをついたのだよ」
「……なんのことだよ」
「とぼけるな。このあいだお前は、この1年間ずっと大変だったと、オレにほしいと言われたのは迷惑だったと言っただろう。なぜそんなウソをついた」
迷惑だなんて言ってない。顔を上げると真ちゃんが変な表情をしていた。眉がぎゅっとなっていて、口も怒ってるみたいな形になってるのに、目だけがすげえ泣きそうに歪んでいた。
「迷惑なんて、言ってねえよ」
「言ったのだよ」
「っつーか、なんでウソだって決めつけんの」
「お前は嫌なことを黙って1年も耐えるようなやつではない。オレに対してならば、なおさらそのはずだ」
確信をもった口調に腹が立つ。なんなの。なんでそこまでオレのことわかってるくせに、なんでいっちばん肝心なトコわかんねーのお前。
「真ちゃんだって」
こらえきれなくて言葉がぽろりと落ちる。胸の中を占領していた思いは、一度こぼしてしまえば抑えることなくあふれだしていった。
「オレがほしいとか言って、あんな、キスまでしといて、もういいってなんなんだよ。遊びかなんかだったの? っは、その相手がオレとかマジ笑える。オレならほいほい言うこと聞くとでも思ったのかよ。バカにしてんじゃねぇよ」
「……ふざけているのはお前だ」
腕を掴んでいる力が強くなる。緑の瞳が、燃えるような光を宿していた。
「1年間だけならオレのものになってもいいと言い出したのはお前だろう。それなのに迷惑だと言ったり、それがウソだったり……意味がわからない」
瞳の光がゆらりと揺れて、オレを映した。オレにとっては、真ちゃんが言ってることのほうがよくわからない。迷惑なんて言ってねぇし、1年だけならいいよとも言ってない。
「高尾、オレはもうプレゼントという名目でお前を拘束する気はない。そんなことをしても本当にほしいものは……お前の心は手に入らないと気づいたのだよ。だからもう、プレゼントにお前がほしいとは言わん。オレが今ほしいものはひとつだけだ」
ぐいと引き寄せられて、真ちゃんが覆いかぶさってくる。抱きしめられたことに気づいたのは、ちょっと経ってからだった。
「お前の本心を聞かせろ、高尾。なぜお前は1年ぶんなどと言った。そして本当は嫌だったのかどうかも答えろ。……なぜキスしても拒まなかったのかも、教えるのだよ」
それがオレが望む誕生日のプレゼントだ。耳元でささやくような小さな声に、体が熱くなる。
「事実を確認せねば、尽くせる人事も尽くせない」
「……なあ真ちゃん。なんかさっきから、オレのことが好きだってふうに聞こえんだけど」
「バカめ。そうでなければなぜ、お前がほしいなどと言わなければならんのだ。オレは好きでもないやつにキスをする趣味はないのだよ」
そんなこともわからないのか。だからダメなのだよお前は。そんなふうに続く真ちゃんのいつもの辛辣な物言いが、今は全然頭に入ってこない。心臓がしびれたみたいになっているから、全身の力が抜けそうになる。
なんだよ。
真ちゃんやっぱ、オレのこと好きなんじゃん。
「なら、そう言えばよかったのに」
「お前は期限つきでなければオレのものにはなりたくないのだろう。負けがわかっている告白などできるか。……結局、してしまったがな。クソ」
オレが1年ぶんの高尾くんプレゼントって言ったのを、真ちゃんはそう捉えたのか。知らなかった、と驚いてから気づく。あれ、なんかこんなんなったの、全部オレのせい?
オレがあんなこと言ったせいで真ちゃんは告白できなくて。
そんでオレは真ちゃん何も言ってくんねーしってうじうじしてたってわけ?
マジかよ。バカみてぇ。
「高尾、答えろ」
焦れたように催促する真ちゃんはホントにバカだ。オレだって、好きでもねーやつにキスなんかしないっつうの。まぁオレの方がバカなんだけど。真ちゃんに好きとも言えねーで、ひとりでうだうだしてたんだから。
痛いくらい抱きしめてくる腕の中で考える。なんでオレが1年ぶんなんて言っちゃったかと、ホントは嫌だったのかどうかってことと、なんでキスしても嫌がらなかったか、だっけ。いろいろ答えろって言われたけど、そんなの返事はひとつしかない。
真ちゃんの胸板を押し返して、拘束をゆるめてもらう。あいかわらず真ちゃんの瞳は揺れていて、それが不安だからだってわかるとたまらない気持ちになった。
シャツをいきおいよくつかんで、真ちゃんの体を揺らす。頭がぐらりと近づいてきたところをめがけて、唇に噛みついてやった。
びっくりして目を見開いてる真ちゃんがおかしくて、唇の感触がじんじんするほどいとおしくて、もう一度口づける。キスしたまま肩に手を回してから、誕生日は今日じゃなかったことを思い出す。……まあ、いいか。そんなのきっとたいした問題じゃないだろう。
「それはな、真ちゃん。オレがお前のこと、」
高校のときから言えずにいた言葉を、そっと手渡す。こんなのが誕生日プレゼントになるなんて、案外真ちゃんは安上がりだ。
どうかこのひとことで、オレの思い全部伝わりますように。
「好きだからだよ」
ああ、もしかしたら、これがずっと真ちゃんのそばにいられる魔法の呪文なのかもしれない。
2015/4/19 pixivに投稿