失恋の話をしよう2

 その日、私は仮縫いを終えた衣装を緑間くんに着てもらう約束をとりつけていた。
「ごめんね、部活前に時間とってもらっちゃって」
「かまわん」
 大きなポリバケツを持った緑間くんが、無表情にそう言う。やっぱり怖い感じだけど、別に怒っているわけじゃないって今はわかる。体育館での一件以降、もう前ほどは緑間くんに対して話しかけづらいな、と思わなくなっていた。
「ごめんごめん、今の〝気にしなくていいのだよー。それより早く衣装を見せてほしいのだよ☆〟って意味だからさ!」
 にやにやと笑いながら、高尾くんが緑間くんの背後からひょこりと顔を覗かせる。そう、今日は高尾くんもつきあってくれているのだ。……緊張します!
「やめろ、気持ちが悪い。だいたいおまえの衣装はどうなっているのだよ」
「昨日着てみたけど特に問題なかったぜ。まぁオレは真ちゃんとちがって、既製品の改造ですから? こーんなに苦労かけさすことはしてねーの」
 緑間くんがフン、と鼻を鳴らす。流れるようなテンポのいい会話に、私はひそかに感心しながら緑間くんに衣装を手渡した。ふたりはいつも一緒にいるけど、こういうのを聞いてるとほんとに仲がいいんだなぁとあらためて思わされる。
「しっかしマジで大変だよなー、ウチのクラスで真ちゃんだけだぜ? こんなに手間かかってんの」
「む」
 高尾くんにからかわれて、緑間くんは眉をひそめる。
「……やはり仮装徒競走に出るべきではなかったか」
「でもほら、ウチの部の伝統らしいし」
「しかし応援団やパネル制作を担当すれば、こんな衣装など必要ないだろう」
「ぶっは、真ちゃんが応援団とか」
「応援団なら衣装は制服で間に合うのだよ」
 真剣な様子の緑間くんに対し、高尾くんはどこまでも軽やかに笑っている。
 ふたりがつくりだしている雰囲気を、どう表現したらいいんだろう。全然似ていないし、バスケ部っていう共通点がなかったら仲良いところとか想像できないなって思っていたけど、なんだか……そう、すごく空気がしっくりきている。いつも一緒にいるからなんだろうか。それとも、もともと相性がいいのかな? 
「ダメダメ、応援団なんて。練習しなきゃだろ? バスケする時間削る気?」
「……それは」
「パネルだって、作んのにすげー時間かかるんだぜ。徒競走は当日衣装着て走るだけでいいんだから、これでいいんだって。衣装作ってくれる人には悪いけどさ!」
 そう言って高尾くんが笑いかけてくれたので、焦って裁ちばさみを落としてしまう。ああ、高いはさみなのに! 
 あわてて裁ちばさみを拾って顔をあげたそのとき、私は高尾くんが浮かべていた表情を見てしまった。
 いつもみたいに笑っていたけど、瞳に一瞬よぎった光が全然ちがう。
 ふだんが真夏の太陽だとしたら、春の陽ざし、みたいな。やわらかくて暖かくてふわりとゆらめくような、そんな感じ。
 そんな瞳で、緑間くんを見ていた。
「それに応援団とかやったら目立つっしょ。そんなんダメだって」
 ただでさえ目立つのにさ。
 笑い声と一緒に落とされた言葉は、優しくておだやかだ。からかいとかおふざけが一切混じらない、私が知らない高尾くんの声。
 なんだかとってもここにいてはいけないような気がしてきた。どうしよう。謎の焦りが生まれるその理由を、きちんと考えようとしたそのとき。
「……む」
 緑間くんの低い声がした。緑間くんを見ると、仮縫いの衣装を着て腕を曲げたまま、しかめっ面をしている。そのポーズ、もしかして。もしかして……
「サイズ、キツい……?」
 おそるおそる問いかけると、苦虫をかみつぶしたような顔で返事が返ってくる。
「着るだけならば問題はない。ただ……これでは走るのが難しいのだよ」
 ああ! まさかの作り直し!
 ぐわんと衝撃が私を襲う。痛恨のミスをやらかしてしまった。あれだけ、布を無駄にしないよう気をつけていたのに。
 そしてそのショックで、私はこのとき感じたことを深く考えるのを忘れてしまったのだった。
 
「あーあ……」
 大きなため息をつきながら、まっさらな布を見下ろす。体育祭のあれこれを取りしきっている体育委員に頭を下げて追加購入させてもらった布だ。
 つまらないミスをしてしまったことがすごく悔しい。型紙を作るとき、サイズの参考にしたのが伸縮性のあるTシャツだったということをもっと考えに入れるべきだったのだ。衣装に使う生地には伸縮性はない。緑間くんが動いたとき、Tシャツのようには伸びてくれないのだ。
 残された時間はあまりない。とにかくひたすら、やり直すのみだ。
 昼休みに放課後、さらに帰宅後と、あるだけの時間を使って作り直しを進め、ようやく仮縫いまで到達したところで私は緑間くんを呼び出した。
「何回もごめんなさい。もう一回着てもらえますか」
 深々と頭をさげると、緑間くんは黒いメガネの奥でぱちりとまばたきをした。
「衣装を着るくらいでおおげさなのだよ」
「だって、部活忙しいんでしょ?」
「今日はミーティングと基礎練だけだから問題ない」
「でも、そのあと自主練するんでしょ?」
 緑間くんの衣装担当になってわかったことはいろいろある。そのうちのひとつが、緑間くんと高尾くんはほんとにいつもバスケをしているということだ。バスケに全力投球なのは知っていたけど、いつでも遅くまで体育館に残って練習している。あんなに激しい運動を毎日していて、体は大丈夫なんだろうか。
 また緑間くんがまばたきをする。そのしぐさは、ちょっとだけとまどっているように見えた。
「なぜわかるのだよ」
「だっていつも体育館にいるんだもん。すごいね、ほんとに。毎日高尾くんと自主練してるの?」
「まぁ、そうだな。別にそう決めているわけではないが、気づくとオレと高尾が残っていることが多い」
 今日は高尾くんの姿がない。バスケ部の監督でもある中谷先生に呼ばれて職員室に行ってしまったらしい。ちょっと残念だ。
 ……それはともかく。私は今緑間くんとふたりきりなわけだけど、ずいぶんと自然に話せるようになったなと思う。緑間くんもごく自然に話をしてくれるし、なんだかうれしいな。
「今年は必ず、オレたちが優勝する」
 堂々と宣言した緑間くんはちょっと得意げで誇らしそう。あれ、今のってすごいレアじゃなかった? 緑間くん笑ったよ? 写真に撮っておきたかったかもしれない……!
 私が内心そんなことを考えているうちに、緑間くんは二作目の衣装に袖を通す。
 肘を曲げて、腕を伸ばしてみて、軽く屈伸してみて、足を上げてみて。大丈夫そうに見えるけどどうかな。
「……動きづらくない?」
「ふむ。これなら問題なく走れそうなのだよ」
「よ、よかったー……!」
 もう一回作り直しなんてことになったら、ちょっとシャレにならなかった。安堵のあまり机に突っ伏してしまう。よかった、ほんとによかった……!
「じゃあこのまま本縫いに入るね。そうだ、完成したら一回着て走ってみる?」
「そうだな。実際走ってみたときに不具合が生じんともかぎらん。それで一位をとれないようでは困るからな」
 大真面目にそう言って、緑間くんは衣装を脱ぐ。
「一位めざしてるんだ」
「当然だろう。やるからには人事を尽くす」
 あ、また。
「あの、ずっと気になってたんだけど、ジンジってどういうこと?」
「人事を尽くして天命を待つ、という言葉を知っているか。オレの座右の銘だ」
 緑間くんがかちりとメガネの位置を直す。心なしかレンズがきらりと光ったような気がした。
「よく勘違いされるが、これは運を天に任せるという意味ではない。やれることをすべてやってはじめて、運命に選ばれる資格を得るということなのだよ」
「……そ、そうなんだ?」
「オレのシュートは落ちん。それは日ごろからあらゆることに人事を尽くしているからなのだよ」
「えーと」言われたことを脳内で必死にかみ砕いてみる。「つまり、緑間くんは自分にできることは全部ちゃんとやってて、だからバスケ強いってこと?」
「そうだ。オレは人事を尽くすことに暇を惜しまない。おは朝占いも必ずチェックして、運勢も補正している」
 緑間くんが持ち上げてみせたのは、ずっと床に置いてあった巨大なふぐのぬいぐるみ。おは朝占いって毎朝やってる、よく当たるって評判の占いのこと?
「これは今日の蟹座のラッキーアイテムなのだよ」
「え!」
 入学してからの疑問が今解けた。たぬきの置物とか、トーテムポールとか、うさぎのぬいぐるみとか、プラモデルとか、とにかく毎日日替わりで持ってた変な物って、あれ、ラッキーアイテムだったんだ……!
「……ラッキーアイテムも、バスケで勝つために必要なものってこと?」
「そのとおりだ。運などという要素が敗因になってはかなわんからな。おまえも衣装制作に人事を尽くすのなら、ラッキーアイテムを持つといい」
 おは朝の威力は絶大なのだよ、と自慢げに言う緑間くんを、ついついぽかんと口を開けて見つめてしまう。
 毎日あれだけ練習して、練習して、練習して、それでも足りないってこと? それでできることを片っ端から全力でやって、そうやって運命を味方につけようってこと?
 今はもうそんなことはなくなったけど、一年のころは変な物を持ち歩いている緑間くんをクスクス笑って見ている人は多かった。緑間くんがそれを気にしているようには全然見えなかったけど、あんな風に笑われて気分がいい人なんていないはずだ。
 それでもその習慣をやめないのは、全部バスケのためなんだ。
「……緑間くんって、すごいね。カッコいいんだねぇ」
 思わずぽろりと言ってしまったあとでハッとなる。私、だいぶ恥ずかしいことを言ってしまった! うわあ! ちらりと見上げた緑間くんもびっくりした顔をしていて、頬が赤くなっている。うわああ、ますます気恥ずかしい、いたたまれない……!
「真ちゃん!」
 どうしていいかわからずにうつむいた瞬間、教室の扉が勢いよく開いた。息を切らした高尾くんが、すごく真剣な顔でこっちを見ている。
「高尾。監督の話は終わったのか」
「あーうん、まぁ。ってかさ真ちゃん、ちょっと来て」
 高尾くんは足早に緑間くんの隣に来て腕をつかむ。緑間くんの顔がちょっと歪んだところを見ると、けっこう強い力だったみたいだ。
 そのままつかつかと教室を出ようとした高尾くんだったけど、ふいに足を止め、くるりと私をふりかえる。
「衣装の確認、もういいよな。わりいな」
 そう言った顔はちっとも笑っていない。
 そのままふたりは行ってしまった。取り残された私は、ちりちりと痛む胸の痛みと戦うことになった。高尾くんが放つオーラや声の響き、しぐさのひとつひとつがじわりと肌に染みこんで心臓にまで届いたようだった。
 感じとれたことはただひとつ。
 私への、敵意だった。
 
 その晩、私はひたすらに考えた。
 湯船に浸かりながら、高尾くんの言葉や表情を何度も思い返す。いつもみたいに姿を思い浮かべてどきどきするためじゃなくて、高尾くんが隠しているものを探り当てるために。
 私に向けた言葉、緑間くんのことを話すときの笑い方、緑間くんを見つめる瞳の色。そして今日のあの表情。
 そういえば、笑っていない高尾くんを見るのは今日がはじめてだったかもしれない。……ううん、あれは笑おうとしていたけど失敗したみたいな表情だった。硬くて苦いものを、むりやり飲み込んだような。
 そこから導き出される答えなんてひとつしかない。長風呂でのぼせてきた頭で、確信に近く思った。
 彼は緑間くんに恋をしている。
 
 
 三日後、私は本縫いを終えた衣装を緑間くんに手渡した。
 金の肩章やベルトといった飾りはまだ何もつけていないので、パッと見は白い学ランと赤いズボンだ。それでもスラリとした緑間くんが着ると、それだけで本当の王子さまのように見える。実際、教室のあちこちで女子がため息や小さな悲鳴をあげていた。緑間くんは聞こえていないみたいに平然としているけど。
「では、走ってくるのだよ」
「うん、行ってらっしゃい。ちょっとでも動きづらいとかあったら言ってね」
 わかったと短く答えて緑間くんが教室を出ていくと、みんながぞろぞろと続く。王子さまが走るところを見たいんだろう。
 体育祭を間近に控えた放課後はにぎやかで、あちこちで準備をしている音や歓声が聞こえる。一年間の中でも数少ない、心躍る時期だ。お祭りは始まる前がいちばん楽しい。そのなかで、人がすっかりいなくなったこの教室だけが妙に静かだった。
 ここにいるのは、私と高尾くんだけ。こっそり盗み見すると、高尾くんは頬杖をついて外を眺めていた。すごく、つまらなさそうにしている。
「高尾くんは行かなくていいの?」
「別に真ちゃんの走ってるとこなんか見飽きてっし」
 思い切って声をかけると、そんな返事が返ってくる。無視されなかったことにほっとしながらも、こちらを見てくれないそっけない態度はまた私の胸を刺す。
 あれから高尾くんと話す機会はなかった。もともと頻繁にしゃべるような間柄ではないけれど、意識して私に近づかないようにしていたのは気のせいではないと思う。
 よし、と心の中でちいさくつぶやく。手のひらは気持ち悪いくらいに汗ばんでいるし、心臓はさっきからばくばくしっぱなしだ。足もふるえていて立っている感覚もちょっとおかしい。
 だけど、今言わなければ。
「あのね、高尾くん」
 私の緊張しきった硬い声に、高尾くんがこちらを向く。瞳に浮かぶ色は今までに見たことがない冷たいもので、思わず唇を噛んだ。
 私は根性なしだ。学校中でも有名で人気のある男の子を好きだなんて、友だちにだって言えない。私みたいにとりたてて秀でたところのない、ただの平凡な子が高尾くんを好きだなんて言うのはおこがましい気がして。そのくせ、自分で叶うわけないって思っているのに、他人にそう思われるのは嫌だったのだ。
 遠くから見ていられれば満足だったし、ときどき話ができればそれだけで幸せだった。強がりでも負け惜しみでもなく、本当にそうだった。ささやかでちっぽけで、だけど安全な世界から出るつもりはなかったのだ。
 だけど、だけど。拳を握りしめて、私は顔をあげる。
「――私、高尾くんのことが好きなの」
 好きな人に誤解されたままなのは、嫌だ。
 好きな人にこんな顔をさせているのは、嫌だ。
 
 唐突な告白に高尾くんが目を丸くする。何か言おうと口を開いたのを見て、私はあわてて言葉を続けた。
「だから、えっと、緑間くんのことは好きとかそういうんじゃないの。だから安心してほしくて、それで」
 緑間くんの名前を出したとたんに、高尾くんの表情が変わる。さっきまでの驚きとはちがう種類の驚きで顔をひきつらせ、どうして、とつぶやく。
 だって、だからあのとき私に声をかけてきたんでしょう? うちのエース様に惚れんなよって冗談めかして牽制して、緑間くんと私が必要以上に距離を縮めないように、さりげなく気を配っていたんでしょう? 
 体育館で型紙を合わせてくれたときも、教室でわたしと緑間くんがふたりきりになったときも、きっと、彼はずっと不安だったのだ。私と緑間くんが互いに好意をもったらどうしようって。
 長い沈黙が続いたあと、高尾くんは顔を手で覆って大きく息を吐き出した。そのままずるずるとしゃがみこんで、うーとかあーとか呻いている。
「……もしかして、オレの気持ちバレてる?」
「う、うん」
「クッソ、なんでだよ……」
「高尾くん、たぶん自分で思ってるよりわかりやすいよ? 私に妬いてたでしょう」
「うあー……マジかよ……」
 手で隠してはいるけれど、指のすきまから顔が赤くなっているのがハッキリと見える。黒髪から覗く耳も真っ赤だ。こんなときになんだけど、かわいい。
「部のやつらにはバレてねーのに……」
「女子のカンは鋭いんだよ」
「ふは、マジ怖え」
 顔をあげて高尾くんが笑う。そこにはもう私への敵意はなくて、心の底からほっとした。
「あと、緑間くんが意外に話しやすいとか、優しいこととか、みんなには言わないから安心してね」
「うあああ、ほんとマジちょっとやめて」
 心の内を見透かされたのが恥ずかしいらしく、高尾くんが身悶える。ものすごくかわいい。なんだかちょっといじめたくなってくるくらい、かわいい。
「告白しちゃえばいいのに。あんなに仲いいんだから」
「バカ言うなよ、できるわけねーだろ。いろいろあんだよ」
「まぁ、そうだよね」
 男同士だもんね。たぶん私には想像もつかない葛藤や苦しみがあるのだろう。
「がんばってね。応援してる」
 そう言うと、高尾くんはびっくりしたように目をぱちぱちさせる。
「んなことはじめて言われたわ。まあ、誰にも言ってねーから当然なんだけど。ってか気持ち悪いとかねぇの?」
「うん、別にないかな」
「そっか。……サンキュな」
 照れたような笑顔を向けられて、私の胸がきゅっと苦しくなる。ああ、やっぱり、高尾くんは笑っているのがいちばん似合う。なかでも、そのやわらかい笑顔はとろけそうにすてきだ。
「あと――ごめん。好きな人がいるから、つきあえません」
「うん、わかってる。ありがとう」
 泣くべき場面なのかもしれないけど、心からそうしたくて私は微笑んだ。
 きちんと断ってくれたことがうれしかった。私なんかの気持ちにもまっすぐ向き合って、真剣に応えてくれた高尾くんはやっぱりものすごくカッコよくて、さらに惚れ直してしまう。
 ああ、神さま。どうか高尾くんの恋がうまくいきますように。
 

 二作目の衣装は緑間くんが走ってみても支障はないサイズだった。安心した私は、それから衣装の仕上げに没頭した。なるべく豪華に、なるべくカッコよく。なんたって緑間くんは王子さまなのだから。
 時間はあまりない。でも手抜きはしたくない。もてる時間を全部つぎ込んでなんとか衣装が完成したのは、体育祭の二日前だった。
「うわーすごい!」
「クオリティ半端ない!」
 クラスのみんなにほめてもらえて、このうえない充実感と安堵を味わう。がんばってよかった。私の特技が役に立てるのはこんなときくらいなので、本当にうれしい。
 仕上がった衣装を着た緑間くんが教室に現れると、キャーと大きな歓声があがった。端正な顔としっかりした体格の彼の王子様姿は、誰がどう見てもものすごくカッコいい。……左手には今日のラッキーアイテムらしいモヤイ像の置物持ってるけど。
「これならウチのクラス余裕で一位でしょ!」
「ね、ね、緑間くん、メガネ外してみてくれる!?」
 興奮しきった女子の勢いに圧倒されて、緑間くんが苦い顔をしつつもメガネを外す。いつもは太いフレームに隠されて見えない涼しい目元とびっくりするくらい長いまつ毛があらわになって、悲鳴がひときわ大きくなった。カシャ、と写真を撮る音も聞こえる。完全に見世物になっている。
 案外やきもちやきらしい高尾くんが心配になって姿を探すと、すこし離れたところから緑間くんを眺めていた。わあ、高尾くん、顔、顔。「真ちゃんカッコいい」って書いてあるよ。完全にうっとりしてるよ。ほんとに隠してるつもりなのか、ちょっと疑問だなぁ……。
「ね、高尾くんも着てよ! 衣装できてるから!」
 カナの声で高尾くんが我に返り、いつもの表情にもどったから勝手ながら私はほっとする。ハラハラさせないでください、高尾くん……。
 高尾くんが白雪姫の王子の衣装を着ると、また歓声があがってシャッター音が響く。うん、緑間くんもカッコいいけど、高尾くんもやっぱりすごくステキです。
 マントをひるがえしてみたり片手を胸に当てておじぎをしてみたり、高尾くんがサービス精神をぞんぶんに発揮するものだから、ちょっとした撮影会と化して教室は騒然としている。男子まで写真を撮っているけど、隣のクラスに売ったりするのかな……?
「高尾くんこっち向いて!」
「はいはーい」
 アイドルさながらのスマイルとポーズを決めていく高尾くんを中心に、撮影会はどんどん盛り上がっていく。
「……まったく、バカめ」
 ふと気づくと緑間くんが隣にいた。加熱していく撮影会に辟易して避難してきたらしく、呆れた顔で腕組みをしている。
「あ、衣装どうだったかな。飾りつけたら動きにくいとかない?」
「ああ、特に問題はないのだよ。しかし、ここまで豪華なものになるとは思わなかった」
「うん、人事を尽くしたからね!」
 冗談めかした私の言葉に、緑間くんがすこしだけ口元をゆるめる。たぶん、笑っているのだろう。きっとこんな表情に高尾くんは弱いんだろうな。
 そういえば、緑間くんは高尾くんのことどう思っているのかな。余計なお世話だと知りつつも、好奇心に負けてつい探りを入れてみたくなる。
「高尾くんの衣装もステキでしょ?」
「……衣装は悪くない」
「高尾くん本人は?」
「あんなにはしゃいで、バカみたいなのだよ」
 容赦のない言葉に苦笑しながら緑間くんの顔を見上げると、メガネの向こうの瞳が和んでいるように見えた。おや?
「だいたいアレが王子という柄か。どちらかというと小姓のほうがお似合いなのだよ」
 そう言いながらも視線は高尾くんから動かない。高尾くんが大声で笑いながらおかしなポーズを決めて周囲を爆笑させると、緑間くんは目を細めた。唇がかすかに笑みの形をしていて、なんというか、そう、すごく優しい表情をしている。……おやおや?
「ねえ高尾くん、記念に一緒に写真撮ってくれる?」
「いいぜー。ふはっ、王子さまと一緒! ってヤツ?」
 いつでも果敢に攻めていくカナに高尾くんが笑顔で応える。すごくうれしそうなカナに、ツーショットよかったね、いいなあと思いつつ隣の緑間くんに視線をもどす。心なしか表情が硬くなっているような……あれ? 緑間くんの様子を観察するつもりが、まったく別のことに気づく。
「緑間くん、ちょっとごめん」
 緑間くんの腰周りを彩っている赤いベルトを軽くひっぱる。ああ、やっぱり。縫いつけかたが悪かったのか、赤地のベルトをぐるりと囲んでいる金のリボンがとれそうになっていた。
「ベルトちょっと縫い直さなきゃだめみたい。ごめんね、ちょっと直してくるから衣装くれるかな」
 教室にはミシンがない。手芸部の部室である家庭科室に行かなければ直せなかった。
「……オレも行く」
「え、いいよいいよ、わざわざ」
「ここにいたらオレもくだらん撮影会に巻き込まれる」
 強くそう言われたら、断る理由も見つからない。
 ふたりきりになっちゃうな、あとで高尾くんに謝らなきゃ、と思いながら私は緑間くんと連れ立って家庭科室に向かった。
「そういえば、部活はいいの?」
「体育祭の準備の関係で、今日は体育館が使えないのだよ」
 早く体育祭が終わればいいのだが、とため息をつく緑間くんに笑ってしまう。だって、
「高尾くんも同じこと言ってた」
「……高尾が?」
「うん、IH勝ちたいから部活に専念したいって。ふたりで同じこと考えてるんだね」
 緑間くんが立ち止まって視線をさまよわせる。言葉を探しているのか、ちょっとためらってから、困ったように私を見た。
「その」
「ん?」
「……オレはそういうことに、どちらかというと疎いのだが」
「うん」
「さっき高尾と写真を撮っていた女子は、高尾のことが好きなのか」
「カナのこと?」
 クラスメイトの名前くらい覚えようよ。とつっこみたかったけれど、緑間くんが真剣な顔をしているので言葉を飲み込む。
「うん、そうだね。高尾くんってけっこう人気あるんだよ。知ってる?」
「……知らないことはない」
 わあ、すごくおもしろくなさそうな顔。もうさ、これさ、決定でいいんじゃない? 私の考えちがいじゃないよ、どう見ても。
「高尾くん、緑間くんが体育祭でキャーキャー言われて調子乗って彼女ができると困るって言ってたよ」
「高尾め。オレがそんなことをするはずがないだろう。それを言うなら、あいつのほうが浮かれて彼女を作りそうなのだよ」
「そうなったら困る?」
 眉間にこれでもかってくらいにシワを作って、緑間くんがぐうと唸る。難しい顔をして黙り込んでしまった王子さまを、みんながちらちら見ながら通り過ぎていく。
 こういうとき、高尾くんならきっと笑ってごまかしてうまく言い逃れる。それができない緑間くんはたぶん不器用で、正直な人なのだ。そして、うまくごまかしてしまえないくらい高尾くんのことを思っているのだろう。
「私もね、高尾くんのこと好きなんだ」
 思いがけないはずの私の言葉を聞いて、緑間くんの顔が急に険しくなった。
 いつも静かに凪いでいる瞳に灯ったのはぎらりとした熱で、射すくめられた私の背筋がぞくりとする。この表情は本当に怖いなぁ。そう思うけれど、どうしても可笑しくなってしまって笑いがこみあげてくる。だってそれ、嫉妬でしょう? ふたりともわかりやすすぎるよ。
「この前告白して、ふられちゃったけどね」
 笑いを噛み殺しながら教えてあげると、緑間くんの全身から力が抜けた。一瞬とはいえ感情を表に出してしまったのが恥ずかしいのか、頬を赤くして目を伏せている。
 そんなに好きなら、告白しちゃえばいいのに。じれったいなぁ、もう。
 ここで私が、高尾くんは緑間くんのこと好きなんだよって教えてあげるのはすごく簡単だ。
 でも、それはしちゃいけない。他人の恋路には立ち入るべからず、だ。他人の私がかかわっていい領域ではないのだ。
 だけど――。
 背中を押すくらいは、いいよね?
「ふられちゃったけど、告白してよかったなって思ってる。好きでいられればそれでよかったから、ホントは言うつもりなんてなかったし、ふられるのもわかってたんだ。でも、今は人事を尽くしたなって胸を張れる。怖くて言えないままよりずっとよかった」
 レンズの向こうの緑間くんの瞳が揺れた。人事を尽くすって言葉に緑間くんが敏感に反応するのはわかっている。
 私があえてその言葉を選んだって、緑間くんは気づくだろうか。オレは片思いに人事を尽くしてるだろうかって彼が自問自答するのをわかってて、私がこんなことを言ってるってバレてしまうだろうか。
「でも、ちょっと人事を尽くしたとは言いがたいかもなぁ。緑間くん、知ってる? 体育祭のジンクス」
「……知らないのだよ」
「後夜祭のときにね、この校舎の二階の渡り廊下で告白すると永遠に結ばれるんだって。私もそうすればよかったなーって」
 緑間くんがそうなのか、という表情でうなずく。……まぁ、ウソなんだけど。そんなおかしなジンクスあるわけがない。だけど、占いのラッキーアイテムを気にする緑間くんなら、こういうの信じるでしょう?
「緑間くんも誰かに告白するんなら、ちゃんと人事を尽くしたほうがいいよ」
「オレは、別にそんな予定はない」
 不機嫌そうにそう言ってるけど、顔は赤いし視線はうろうろしているしで全然説得力がない。緑間くんって、案外わかりやすい。
 高尾くん、と心の中で呼びかける。ちょっとだけど緑間くんの背中を押してみたよ。これで緑間くんとふたりきりになっちゃったことはチャラにしてね。
 

 体育祭当日、王子様の衣装をまとった高尾くんと緑間くんは当然ながら大注目を浴び、私たちのクラスは大量の得点をゲットして優勝した。
 飛び上がってよろこびを全身で表現する高尾くんと、渋い顔をしているけどそれでも一応よろこんでいるらしい緑間くんが、ハイタッチをしてからふたりして顔を赤くしたのに気づいたのは、たぶん私だけだろう。
 体育祭のあとに待っているのは、後夜祭だ。
 秀徳高校の後夜祭は、今どきあるのかとびっくりするくらいベタなことにキャンプファイヤーがおこなわれる。薪を積み上げて火をつけ、マイムマイムを踊ることになっているけど、そのあたりは自由参加というよくわからない決まりだ。要は、皆で勝利をよろこびあったり慰めあったりするだけなのだ。
 暗くなった空に、薪がはぜる音と赤い火花が舞うのがキレイだ。こんな雰囲気の中でみんなとはしゃぐのはとても楽しい。けれど私は、踊ったり騒いでいる人たちの中心から外れて、こっそり校舎の方向を監視していた。
「このあと打ち上げあるってー」
「ねえ聞いてる?」
 うん、と友だちに返事をしながらも私は視線を動かさない。
 じっと目を凝らして昇降口を見つめていると、薄闇の中に人影が見えた。思わず「あ」と声を漏らす。今のは、今の人影は。
「打ち上げ高尾くん来るかなぁ」
「緑間くんも連れてきてほしいよねー」
 友だちの会話に、「高尾くんと緑間くんは、打ち上げには来ないと思うよ」と心の中で返事をする。
 なぜなら、今緑間くんが高尾くんの手を引いて、校舎に入ったから。私がつくったでたらめなジンクスを信じて、二階の渡り廊下に向かったから。
 そう言って笑いたくてたまらないのをこらえるのは、結構大変だった。
 
 これで私の失恋の話は、ほとんどおしまいだ。
 あれから高尾くんと緑間くんは、一見変わりなく過ごしている。いつもどおり一緒に授業を受けてお弁当を食べて、放課後はずっとバスケをしている。
 だけど時々、視線が合った瞬間にふと笑みを交わしたり、じゃれあってる途中でハッとなって顔を赤くしたりしている。私はそれを目撃してはハラハラする、そんな毎日だ。そろそろ、つきあってるのがバレバレだよって忠告すべきなのかもしれない。
 確かに私はふられてしまったし、高尾くんはほかの人のものになってしまった。それ自体はすごく悲しいことだし、実際私の胸はときどき痛む。
 だけど。
 たとえば廊下で緑間くんをからかって笑う高尾くんとすれちがう。今日も幸せそうだな、よかったね。そう思って微笑みかけると、高尾くんが笑い返してくれる。ちょっと照れたように、のろけるように、ありがとうと言うように。
 こんな特権をもってるのは今のところ、私だけだ。
 失恋と引き換えにこんな特権を得られるなら、失恋するのも悪くなかったなと、そう思っている。

 

 


2015.2.12